おはようございます。伊藤智子です。

世間はお盆休みですね。

今日は、私の教育の考え方を書きました。

教育分野に関心がある人には、読んでみてほしいと思います。

私の授業は、なぜ楽しいの?

私は、たとえ小学校低学年の授業の中でも、カードで遊んだりゲームをしたり、歌を歌うなどのことはしていません。
道具は基本的に、テキストとノート、筆記用具のみ。

でも、いつも「べんきょうが楽しかった!」と言ってもらいます。

私は、とくに小さな子を見ていて強く感じることがあります。

それは、人は、みな成長する喜びを感じられるようになっているということ。

新しいことを知ったり、自分ができなかったことができるようになったりすることは、それだけでワクワクする体験なんです。

それは当然、勉強でも同じ。

それなのに、「勉強はつらいけど我慢してやななくてはいけないもの」とカテゴライズしているのは、大人のほうではないか、と感じることがあります。

だから、ちゃんと勉強できる子は「えらい」とかいう考え方も生まれてくると思うのです。

(勉強ができるというのは素敵なことだけど、別に「えらくはない」と私は思います。だから、いま成績が良い子も、成績がそんなに良くない子も、同じく大事な存在です。当たり前のことですが、これまで見てきた多くの教育現場では、残念ながら、あまり当たり前ではありませんでした。)

それから、大人の側が、「きっと勉強は面白くないだろう」と思うからこそ、必要以上にゲームを取り入れようとしたりするのではないかとも思います。

ゲームに反対ではありませんし、楽しい時間は必要だと思います。

でも、小学生の時に歌やカード中心の英語教室に通っていたけれども、中学生になったときに、ほとんど何も残っていない(それどころか、英語はゲームする科目のイメージだったのが、中学生になったら急に「勉強」になって面倒になり嫌になる)ケースを多く見てきた私としては、最初からきちんと、座って学ぶスタイルでもいいのでは?と思っており、少なくても私はそうしています。

それから、一人ひとり、喜びを感じながら成長できるスピードは、違います。

本来、すべての人が成長する喜びを感じられるといっても、それは同じ速度ではないのです。

自分が楽しめるスピード以上に、「ちゃんとやりなさい!」「なんでもっとできないの?」なんて言われたら、どんなに楽しいことだって、苦しくなってしまうと思います。

大人だって同じことで、たとえ自分の趣味だろうと、できの悪さ、飲み込みの悪さをいつも指摘されていたら、苦しくなってしまいます。

もちろん、ご家庭では、大切なお子さんの将来を思ってこそ、つい色々言ってしまうものだと思います。

塾の先生という立場の私だからこそ、じっくり待つことができると思うので、私はそのスタンスで接しています。

ただ、一人ひとりのペースを大事にして、その子がちゃんと吸収できるスピードにしてあげると、結果的には、「早く早く!」「もっともっと!」とせかすよりも、学力の伸びは加速することも感じています。

 

結論として、私が授業で大切にしているのは

「知らなかったことを知る喜びを感じてもらうこと」
「分からなかったことがわかるようになる喜びを感じてもらうこと」
「その子ができるようになったこと、できていることを見つけてあげること」

一人ひとりの「学ぶ力」「伸びる喜び」を信じて、そこに働きかける、ということをしています。