おはようございます。伊藤智子です。

みなさんは、心のよりどころ、心の友と言えるものはありますか?

私の場合は、その時々、いろいろなものはありますが(例えば、素晴らしいと思える書籍など)、ずっと変わらず根底にあるものは日記だなあと最近気づきました。

毎日書いているわけではなく、何か書き記しておきたいことがあるときに書くだけなのですが、小学生の時からの習慣でいまだに書いています。

自分がどんな気持ちの時も、どんな状況の時も、日記を書いて気持ちを整理したり、ここから自分はどんなことを学んだらよいのだろうか考えながら、日記を書いてきました。これまでの経験の中には、もし日記を書いていなかったら、その状況に飲み込まれてしまって、どうしようもなかっただろうと思うこともたくさんあります。そう考えると、日記は私の心のよりどころなのだろうと思います。

受験勉強中の高3の時は、さすがに頻繁には書いてなかったのですが(昨日数えたら、高3で日記を書いたのは、たったの6回でした。)それでも、自分にとって大事な気づきがあったときや、気持ちを新たにしたいときに書いたようで、今読み返すと、いろいろ考えさせられます。

ちょうど、高3の8月末(正確には27日!18年前の今日です。)に書いた日記がありました。

そこには、こんなことが書かれていました。って、日記の一部を書くのはとても恥ずかしいことなのですけど、受験生からの悩み相談を聞いていて、私もこんな気持ちと戦っていたという経験が、誰かの役に立つかもしれないなと思ったので書くことにします。

(日記なので、助詞がなかったり、ひらがなが多いなど、いろいろ分かりにくいと思いますが、そのまま書きました。)

「・・・夏休みが始まった頃は、未来明るく気分もうきうきだったのですが、8月中旬くらいから、なんだか暗くなってきて、もがいてももがいても水面に浮かべないような感じで、勉強もやればやるほどわからなくなっていくような気がして、毎日暗い顔になっていました。なんでこうなってしまったのかはわかりません。ただ、みんなに置いていかれたらどうしよう、という不安がきっかけだったと思うのですが。

・・・でも、ふとこの日記帳を読み返したら、何か所もハッとさせられるようなところがあって、特に純粋に頑張ろうとしていた初期のころに自分が書いた日記を読んで、涙が出てしまいました。最初のころは、とにかく大変なこともあるかもしれないけれど、応援してくれる方々に感謝して、純粋に自分を高めようとしていた。それなのに、いつの間にか他人のことが気になって、他の人が自分よりできるようになっていたらどうしようと、そんなことばかり気にして、ふりまわされていたのです。日記を読んでいたら、昔の私に申し訳ない気持ちがすごくわきました。それは同時に、応援してくださる方々への申し訳なさだったと思います。

・・・東大に行く本当の目的は、できるだけたくさんの人に幸せをふりまけるような仕事をするために、まずはしっかり自分を高めて勉強したいと思ったからだと思います。

また明日から初心にかえって誠実に努力したいと思います。」

 

こんな感じで、不安や人との比較という気持ちと戦って、苦しい気持ちでもがきながら、ハッと初心に帰ったり、自分は何のために大学に行きたいのかを考えて、もう一度志を新たにしたり、という時期を、何度か繰り返したと思います。

今から振り返ると、そういう時期に、真剣に「そもそも、なんで自分は大学に行きたいのだろう」と考えたことが、今の私の仕事の基盤になっています。そういう時間の中で、「若い人を応援する仕事をしたい!」という夢も見つけました。だから、そういう時間は、私には必要な時間だったのだろうし、そもそも大学受験を経験できたことがありがたかったと感じています。

人それぞれ、受験に対して思うことは違いますし、受験への意味付けも違います。それぞれの考え方が、それぞれにとっての正解です。

私にとっては、受験は「人の役に立てる人間になるために、努力してみようと思う機会」でした。

勉強が多少できるからと言って、人の役に立つ人間になるとは限らないことは、よくわかっていました。でも、高校生の私なりに、「そのとき自分にできること」を精一杯考えて、そういう気持ちで受験にチャレンジできたことは、良かったなと思っています。

 

みなさんは、自分の人生にとって、この受験はどんな意味があるものだと思いますか?

せっかく貴重な青春の時間を使って受験に臨むわけなので、自分にとって、一番素敵な意味付けをして、臨んでみてはいかがでしょうか。

私は、そういうメッセージを伝えていきたいと思っています。

 

それでは今日は、この辺で!

この記事を書いた人:

東大卒 英語講師・キャリアコンサルタント 伊藤智子